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韓国の新たな社会統合政策についての研究
Research for New Social Unification Policy in Korea

Facts

NGOの活動をデザインする

国際開発協力民間協議会
(KCOC)コーディネーター
クック・チンギョン

クック・チンギョン

写真 : 国際開発協力民間協議会
(KCOC) コーディネーター
クック・チンギョン

 KCOCは世界の紛争地域や貧困地域で人道支援や開発援助事業を行う韓国開発NGOの協議会だ。各国で奉仕団の派遣、研究調査、事業発掘、エンパワーメント事業を行っている。
 KCOCのコーディネーターとしてネパールで活動するクック・チンギョン氏に活動内容をお聞きした。

KCOCホームページ参照http://www.ngokcoc.or.kr/

質問:ネパールでのKCOCの活動をご教示ください。

基本的にコーディネーターが派遣されるのは韓国人NGO協会がある国だけだ。ネパールにはKorea NGO Association in Nepal(KONAN)がある。

質問:コーディネーターとは大変に特殊な仕事のようですが、どのような経緯でこの仕事を担われたのですか?

私は2016年からKCOCでコーディネーターをしており現在三年目だ。2012年から4年間は韓国で支援しているNGOの職員としてネパールで活動していた。初めてネパールに来たのは1999年で2001年までポカラの教育庁にいた。KOICAが1989年から奉仕団を派遣しており、私もKOICAから派遣された。
 前回ネパールに来る前は幼稚園の教諭だった。2001年帰国後も2年間幼稚園の教諭ののち、地方自治体の管理公団で公務員をしていた。行政管理の修士課程を修了しているため、ある程度まで現場の教諭をつとめたら管理職にならざるを得ない。管理公団では教育部門で幼稚園児、小学生対象の教育部門のプログラム運営を担当していた。2001年11月に辞職して12月にNGOに入り直後にネパールに派遣された。
 一度目のネパール経験以降、ずっとネパールに引かれていた。仕事を辞めて何をしようかと考えていた時に偶然にインターネットのサイトでネパールのNGOで公募を見つけすぐに応募した。ただ、2015年の地震で活動していたNGOが撤退することが決まったが、ネパールでまだやり残したことがあると思いKCOCのコーディネーターに推薦してもらった。

質問: KOICAの活動とはどう違いますか?

KOICAは政府間支援だがKCOCは民間支援だ。KONANの登録団体数は25団体。団員数は21名。年々ニーズが増えており、私が一人で担当している。KOICAはコーディネーターが3人いるが団員は18名しかおらず、年々減っている。KCOCの登録団体は増えているので皮肉なものだ。
  ただ、開発国家、途上国には現地で活動するNGOのニーズは高まっている。なぜなら現地に住んでいる人に会いやすいという利点があるからだ。またどこかの国の政府からきたというよりは、NGOから来た、サポーターだ、というほうが相手の心理的負担も少ない。人と人だから話を聞きやすく情報を得やすい。
 KOICAとKCICのコーディネーターの大きな違いは業務環境の違いだ。KOICAのコーディネーターはKOICA管掌下で一定の方針が決められている。これに対してKCOCのコーディネーター派遣は私一人で、業務内容もすべて私が策定し調査し、人々や物を繋げ、活動が実行できるようアレンジする。基本的なガイドラインはあるが、それ以外は派遣される国ごとに異なる。大変な仕事だ。KOICAのコーディネーターは事務所で業務を推敲するが、私の場合には事務所がないので朝起きれば事務所にしているリビングに出勤、お昼になればキッチンに行くか外で食べるという違いもある。

質問:具体的な業務内容をご教示ください。

クック・チンギョン

写真 : クック・チンギョン

 先ほどの業務策定・調査・ネットワーキング・アレンジに加え、ワークショップを一年に4回行っている。支援対象者・NGOを繋げ、なにか良いソースがないか、人力などを見つけ出すのも仕事だ。
 私はKCOCでは4人目の派遣者だが最初と二人目が共に半年、三人目が3年間つとめた。業務の蓄積はまだこれからだ。私が辞めて帰国した後も、次の担当者がニーズに応じてリストがすぐに出てくるような体制を作るのも仕事の一つだ。コーディネーターに求められるのは、言語に始まり、社会を理解した上でインフラを構築していく能力。ネパール歴が浅い人には勤まらない。
 具体的なネットワーキング業務とは、例えばNGOのプログラムの中でデザイナーが必要だという場合、私がネパールで活躍中のデザイナーに業務内容について説明をし、支援に応じてもらえるよう要請する。人と人、業務と人を繋げるのが私の役割だ。
 NGO団体は何かの支援をしようとしても、何をすればよいかを吟味する時間がない。その代りを私がするという感じだ。また、NGOとの会議で何か決まっても具体的に対象者に会って直接に交渉するのは私の仕事だ。やりがいのある仕事だと考えている。
 ただ、NGOの奉仕団員は変化してきている。以前は純粋な気持ちでボランティアに従事していたが、今は100%そうともいえない。お金のため、本人のキャリアのために行う人も多い。そういう人たちにもボランティアとはこういうものだと教えなければならないし、情報提供もしなければならない。

質問:やりがいがあるとの事、それはどのような時に強く感じられますか?

この仕事をしながら難しいのはコーディネーターという仕事のアイデンティティの問題だ。コーディネーターになる前にいたNGOではディレクターだった。当時は他のNGOの人とも対等に話ができた。それがコーディネーターという職位に変わった途端、そういう人達が上から目線で話すようになった。
 ただ、一方でNGOのディレクター時代は、私自身も団体にいるので、各団体の問題や秘匿業務を知ることはなかった。今は団体に属さないコーディネーターという立場のため、困ったことでもオープンに話してくれる。むしろ問題があると積極的に相談される。一緒に問題を解決し、いつまでも成長することができることを実感することは大変にやりがいを感じる。
 また、各NGOのディレクターの方々は経験豊富だが年配者が多く、フィールドに対するきちんとした理論を持っていない。細かい経理などもきちんと理解していない場合がある。公的な機関から財政支援を受けたプロジェクトを担っても、会計計算でつまずくことがある。そのような場合、要請があればサポートし、情報を提供しシステムをお教えすることができる。共に助け合い、効果を実感できるので大変にやりがいを感じる。
 ネパール人との関係でもそうだ。人とは相対的なものだ。相手にパンチを加えれば相手は防ごうとする。相手に手を差し伸べれば相手も手を取る。私が大変な時は私を助けてくれるのはネパール人だ。立場上、ネパール人との雇用関係もないため、経済的なつながりがないせいか、純粋に接してくれるところも良い経験と考えている。

質問:何かあたらしい事業は予定されていますか?

KONANでプロジェクトを行うための資金を支援できるような体制を計画している。これは他の国にはない事業だ。民間のNGO団体が集まって公的な団体にするプロジェクトだ。とても特異なケースだ。公立学校支援プログラムが中心だが、それ以外に貧困などへの支援も行う。個人的にも大変に期待している。

デザイン教育で女性のエンパワーメントをデザイン

デザイナー
社会的企業 ジュネリ経営
チャ・スンミン氏

チャ・スンミン氏

写真 : チャ・スンミン氏

 (チャ・スンミン氏は社会的企業「ジュネリ」を運営する一方で、ネパール女性のエンパワーメントのためにデザイナー教育、縫製教育を行っている。ネパールのNGO活動、社会的企業運営の現実をお聞きした。

質問:どのような経緯でネパールにいらっしゃったのですか?

2004年にKOICAの派遣団員としてきた。もともと韓服のデザイナーで生活韓服、改良韓服を中心にデザインしていた。韓国でもボランティア活動をしていたが、専門分野で何かできないかと考えていたところ、偶然に通りかかったKOICAビルの派遣団員募集の広告を見て応募した。30歳になる直前だった。
 だが、ネパールに来てみると様子は違っていた。JICAは縫製分野があったがKOICAでは受け入れがないと言われた。2年の任期の間、3か月は言葉を学び、その後は村の会館建設に従事し、結局6ヶ月しか縫製事業に携われなかった。
 2006年に韓国に帰国し、その後4年半の間は中国の米系アパレル会社でデザイナーだった。お金を十分に稼ぐと何か自分しかできないことがしたくなった。何も考えずにネパールに向かった。
 この時にタメルの服屋で店員をしていた友達が、アパレル工場をもっていたが、ちょうど運営が立ち行かなくなって閉めようかと考えていたところだった。当時のネパール女性は、普段は民族衣装を着てパーティや特別な日は洋服を着ていた。ネパール女性の洋服といえば、ちょうど中国にいた時に大きな物流会社でネパール人男性がデザインも色も見ず、中国人とネパール人では体系も異なるのに、とりあえず安い女性服を送っているのを見ていたので、私はネパール女性のための服を作ろうと決めた。
 ちょうどその友達が国内のシステムや材料を調達できるルートを持っていた。こんなデザインにしたいというと私を連れて原産地や制作過程を見せてくれた。そういう環境も後押して工場は同業という形にして10年ぶりにネパールでの生活を再開した。

質問:起業は思ったよりもハードルは低いという感じだったのでしょうか?

ジュネリ店内

写真 : ジュネリ店内

 ジュネリが最初に考えたのは、ネパール人女性の体型、ライフスタイルを考慮して作ることだった。特にネパール人の働く女性。当時はそれほど外で働く女性はいなかった。現在はネパール製の生地、織の技術、キルティングのステッチや、染めが十分な程度まで向上しましたので100%ネパール製の材料を使用しているが、当時は生地の調達が難しく、中国から取り寄せていた。ただ、困ったのはメイドインネパールのタグを付けるとみんな買わなかったことだ。これをメイドインコリアに変えてくれといわれて、そんな嘘はつけないと断わった。ラベルを切ってくれといわれたこともある。

質問:当時と今では縫製や商品の質はそんなに変わったのですか。

2004年に私が初めてネパールにきたころは、タメルのトレッキング洋品店でノースフェイスの偽物をメイドインコリアに変えて売っていた。でも現在ではネパールで製造される物も質が向上している。バックパック、寝袋などいろいろある。工場も増えた。昔はカーストの低い人が縫製業をしていましたが、カーストの高い人も職人になり、縫製を学ぼうという人が増えている。
 この10年でローカルブランドが増えた。4年ほど前から若いネパール人デザイナーが自分の名前を掲げてメイドインネパールのオリジナル製品が作られるようになった。ただし、これはネパール人向けではなく外国人向けだ。ネパール人女性はいまだに中国から安く入ってくる服を着ているケースが大部分だ。中国製はそれなりに安いですが品質も今一だ。

質問:ジュネリの経営についてご教示ください。

ジュネリ

写真 : ジュネリ

 起業当初はネパール人向けの洋服を目指していましたが、一昨年私が結婚して出産のために帰国し昨年11月にネパールに戻ってからは、外国人にも対応できる多様なデザインへとディレクションを変えた。
 現在は店と工場をあわせて8人の社員を雇っている。出産のために帰国中はネパールの社員に店を任せた。突然結婚、出産と進んだので社員たちも準備ができずに苦労したと思う。自分たちなりにデザインして店において売っていた。

質問:デザイナー教育もなさっているとのことですが。

ネパールの縫製工場の多くは、メーカーの製造する服をほどいて型紙を起こして服を作っている。それよりは自分のデザイン、あるいは仕様書による受注製造の方が利益は大きい。 ネパールにもデザイナー養成所ができたので出身者をデザイナーとして何人か面接したら、絵だけはかけるが、養成所では実習がないので型紙のかき方、図り方、サイズの見方はおろか、ステッチ、ジッパーのサイズ、ボタンホールの大きさ、そういう訓練が全くされていなかった。それではパタンナーにデザイン伝達ができないし、着用できる服が作れない。私がデザイン教育を始めた理由だ。
 着用可能な服を作る方法、生産過程、経営に関する情報など実務的な事に加え、デザイナーの責任について教え始めた。学生たちの中にはネパールでデザイナーとして活躍しているものもいる。
 それから私が教育をするうえで重視しているのは、染色材料、鉛筆など、必ずネパール内で買えるものを使うことだ。NGOの縫製教育、デザイナー教育というと韓国や他の国から持ってきたものを使うケースが多い。もちろん品質は良いだろう。だが、人々がそれに慣れてしまっては、それがないと仕事ができなくなる。ネパール内で流通していない物を使ってしまえば支援がなくなった途端、仕事が立ち行かなくなる。ネパールの針は良くはないが十分に使えるし、慣れる。

質問:大変に明確な方針に頭が下がります。チャ先生の活動、あるいはNGOの活動の中で改善する点などはありますか?

教育生の作った商品

写真 : 教育生の作った商品

 NGOではすべての女性に3か月から6ヶ月の縫製教育をするが、問題は支援事業のゴールを創業(起業)としていることだ。私は起業には反対だ。実際には創業しても6ヶ月以内に廃業する。その時は機械(ミシンなど)も売ってしまう。どれだけ大変だったかを考えると、支援された機械を売ったからとその人を責められない。
 接客もしたことがない。在庫管理の方法も知らない。お金の管理、商品を売るための価格設定の方法も教えないで縫製教育だけして起業させるのは無謀だ。むしろNGOがフェアトレードによって女性の作った商品をお金に換えるプログラムを構築する方法もあるだろう。
 それからNGOの活動資金のファンドレイジングの方法も問題がある。
 かつて縫製プログラムを行った村に行ったら、周りは変わらないのに一つだけ大きな建物が建っていた。中では女性たちが従来型の方法で民族工芸品を作っていたので驚いて聞いたら、外部の人が来て写真を撮って、新式のものをするとストーリーにならないから支援金が出ないので品目が変えるなといったらしい。私はあなたたちの生活が良くなることが大事だと言いながら、前の教えた縫製方法を忘れられないかと焦った。援助やフェアトレードの名目でNGOが活動するために、貧しさや古さのアピールを必要とする構造を根本から変えなくてはならない。
 伝統工芸品を作って売るという時代は終わった。地震前に一日8時間だった停電が2~3年前からはほとんどなくなった。工場も昔はオイルで発電機を回さなければならなかったので大きい発電機を持つ工場で電気が通る時間を見ながら働いた。停電がなくなると家で一人でも工場を回すことができる。NGOは現場の変化に疎すぎる。手刺繍一つとってもそうだ。インドと違いネパールでは機械刺繍が主だ、一度に50、100とできる。ネパールの縫製技術の現実を理解するべきだ。

質問:女性のエンパワーメントにチャ先生のような外部の方や、NGOが関わる意義についてのお考えをご教示ください。

チャスンミン氏

写真 : チャスンミン氏

 ネパール女性のエンパワーメントというとNGOは深く考えずに縫製教育をしようとする。これは15年前から全く変わらない。私は4~5年前から縫製教育をやめるべきと言ってきた。女性のできることは他にもあるはずだ。協力を要請されれば最善を尽くすが、美容関連でも良いし、食に関することでもよい、少し考えを変える時期が来ていると思う。
 それから教育の内容だ。きちっとした(理論的な)縫製技術を教える必要がある。ネパール人女性には自分たちが着るために民族衣装を作る自給自足の技術は必要ない。それよりも自分が作ったものを売って稼ぐことが重要だ。自分の子供たちに服を買い、靴を買い、食べるものを買うお金が必要なのだ。二年前にある地方の縫製教育プログラムで女性たちにサリーの縫い方が学びたいかときいたら、全く違う、頼むからサリーの縫い方ではなく、お金を稼げるものの作り方を教えてほしいといわれた。これが当事者の声だ。
 教え子の中で、縫製作業で最初の頃は6000ルピーほど稼いでいたのが、25000ルピーにボーナスまで稼ぐようになった学生がいた。その子が私を訪ねてきて、勉強して公務員試験を受けたいというので勧めた。女性も収入が増えるともっと高い目標ができ、人生が変わる。エンパワーメントはそうあるべきだと思う。

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