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韓国の新たな社会統合政策についての研究
Research for New Social Unification Policy in Korea

Facts

つらい経験、自分だけのストーリーではない。
外国人なら誰しも経験する。韓国が悪い訳じゃない。

LAMA DAWA PASANG, 韓国名はミンス(민수)氏 

minsuLAMA DAWA PASANG, 韓国名はミンス(민수) 氏

チベット難民の子として生まれネパールからアメリカをめざす旅程で金融危機の韓国に立ち寄った。1997年11月、24歳の時であった。若い自由な魂が導いた、カルマだという。

それから6年、韓国で不法労働者として働き、30歳で韓国人女性と結婚した。チベットを広く知ってもらおうと2008年にレストラン「ポタラ」を開いた。不法在留、移住労組設立、強制立ち退き反対デモ、帰化申請での品行不良による申請不受理裁判の経験、韓国人の家族を守るために起こした活動の数々をお聞きした。

Q:入国したころのお話を聞かせてください。

入国当初は月給55万ウォン、家賃が15万ウォン、午前8時から午後7時まで働く。残業をすれば晩御飯がでる。小さい工場だった。みんなで一緒にご飯を食べるが、箸を出すタイミングがわからなくておかずがなくなった。当時はみじめで悲しかったが今では良い思い出だ。

とにかく一生懸命だった。認められるために必死だった。韓国人が1の仕事をすれば、外国人の自分はその倍、外国人だからそうして初めてこの工場に残れるととっさに思った。だれがどこの国に行っても同じ経験をするだろう。自分だけのストーリーだとは言えない、出稼ぎの人は誰しも経験する。韓国人が悪いためではない。

気ままな生き方だった。持ち物は鞄一つ。家族の心配もない。踊るのが好きでクラブもよく行った。どこにでもいる20代の男だ。韓国人が捨てた家具で生活必需品をそろえる。建設現場、ノート工場、ジーンズ工場、縫製工場、セリ農場、修理工を転々とした。給料の不払いも、もういいやと思ってあきらめた。  

Q:在留が長期化したきっかけは?

明洞聖堂

いつも来年こそはネパールに帰ろうと考えていた。ワールドカップ開催前に不法在留者を減らして治安の安全を証明しようと、どんな人にも自己申告させてビザをくれた。自分も1年のビザをもらった。ワールドカップが終わったら世の中が変わった。2004年に入国後3年以下の外国人にはビザをくれたが、自分は4年以上なのでビザがもらえなかった。

大規模の取り締まりが始まったので市庁のそばの聖公会聖堂の外国人の隠れ家に行った。バングラ、フィリピン、ビルマ、インドネシア、インド、パキスタンの人々が地下に隠れていた。3人の遺影があった。それが三か月の間に遺影が14人に増えた。地下鉄への飛込み、病気、原因は色々だった。その時に話したのは、自分たちは死ぬために来たのではない。仕事をしに来たのだ。それは韓国の助けになっていた。韓国も貧乏だった時代もあったはずだ。韓国ではトイレットペーパーを捨てるのにも約束がある。私たちは人間だ。使い捨てるのにもシステムが無くてはならない。出入国管理の立場もあるだろう。自分は労働運動をするのでもなく。デモをしたこともなく。人権が何なのかもしらない。遊んでばかりいた。でもこれは違う。そう思った。

NGO団体が突然支援をやめた。何故最後までやらないのか。自分にはわからない事情もあるだろうとも思う。だが腹立たしくて足は明洞聖堂に向かっていた。

Q:移住労組を作るための活動ですね。

そう、外国人の労働組合。2年半、389日ろう城のテントで暮らした。政府を変えるために一生懸命だった。リーダーはスパイや何かの嫌疑で連行され国外追放された。地域組織とのつながりで労働組合を作って民主労総の下に入った。闘いの結果が労働組合だった。

基本要求は労働三権、弾圧中止、追放反対。雇用許可ではなく労働許可にすべき。雇用許可は雇用主に労働者を使用する許可を与えるのだ。労働者側に立つものではない。韓国人が外国人を雇用できる許可だ。だから改善を求めた。今では事業所変更も自由になった。変化の過渡期だ。政府なりにやっていることはある。私も今では理解もできるようになった。現在は労組とは連帯する立場で職責はない。でもろう城した時には食料品を提供したりして自分の役割を果たす。出来ることをして協力する。他の外国人も同じだ。みんな出来ることはする。

Q:奥様は韓国の方ですね。

ろう城していたころ妻に出会った。婚姻届を出して450万の罰金を払ってF2ビザをもらった。合法に在留する結婚移民者となった。妻の父は露天商の取り締まり反対で89年に焼身自殺をしたイジェシッ(이재식)烈士。義母が25年間政府に掛け合い民主化烈士となった。義母に保証金が渡されて、それをもらって家の保証金に使ったが、店を構えるために保証金300万家賃25万の家に引っ越した。

Q:ポタラレストランの始まりですね。

 potala restrant2008年の中国オリンピックの時に韓国に聖火が来た。チベットを破壊しておいて、オリンピックで世界に注目される中国に怒りがこみ上げた。

文化と言語がなくなればチベットはなくなる。

何かしなきゃと思って始めたがポタラだ。人々がチベットを話題にして忘れないようにと思った。ポタラがある限り中国には何かの負担が残るはずだ。デモでないデモ。子供にも残る。事業でない事業。検索した時にチベット料理と入れるとポタラと出ることが大事。

2008年7月に開店した。金融危機の時だ。お金が足りなかった。妻は韓国人だが銀行はお金を貸してくれない。自分は外国人だからだめだ。外国人というのはこういうことかと思った。知り合いにお金を借りてようやく始めた。上の子が一歳前だった。

それから2年ほどある日、5~60メーター先の建物を壊し始めた。再開発が始まったのだ。役所に行ったらいつの間にか再開発計画が出来上がっていた。先の人はやられるだけだった。

Q:明洞の再開発と立ち退きの時ですね。

ソウル市庁区域が分けられて順番に追い出し始めた。自分の番が来たが妻が代表になって一年足らず抵抗した。小道に300名くらいの人が黒い服を着て行ったり来たりするので客が来ない。そうなれば家賃が払えない。時事マガジン2580、追跡60分などマスコミで取り上げられた。

取り壊し執行のクレーンが来た。クレーンに飛び乗った店子を下ろそうと声を上げた。クレーンが動いて下で「危ない」と叫んでいる時に自分は両脇をつかまれて警察車両に乗せられた。公務執行妨害、業務妨害、集会指揮に関する法律違反の三つの罪だった。

同じ罪で8人が捕まった。店子2人、残りは運動の学生。その2日後にも取り壊しの人が来た。自分は街宣車を用意してもみ合いになった防犯カメラの角度からは自分が突入したように見えた。相手が車を叩き壊した。通報しようと写真を撮ったら、刑事らが来た。取り壊しの人は車を壊したのはミンスだと警察に言った。相手は嘘をついているが色々と面倒だ。相手が合意を求めてきたので合意して終わらせようとした。ところが警察は現行犯として自分に手錠をしたのだ。

何か圧迫を有ったのではないか。裏金をもらったのか。不確かだから何も言えない。

48時間拘束された。ストレスを受けた。おしっこが2~3日でない。大変だった。妊娠中だった妻は入院中だった。流産の危険があった。自分は外国人だが3人の子の父で、4人の韓国人の家長だ。それでも警察は逃走の危険があるから拘束しなければならないというのだ。弁護士が何とかしてくれて帰還できたが、不拘束捜査で裁判が終わるまで4年かかった。

Q:最初の裁判ですね?

一審では暴走犯とその他の罪で有罪。罰金300万ウォン。2審では相手2人が嘘を認めて車を壊したのはミンスではないと証言してくれた。建設会社が業務妨害は偶発的な事と書いてくれた。二審では暴走は無罪。なのに残りの三つは有罪で罰金は500万に跳ね上がった。逮捕者8名うちもう一人の店子は罰金たった100万ウォン、他の学生には罰金が無しだ。自分だけが罰金500万ウォンだった。3つの罪が本当に500万ウォンの罪なのか。これは自分が普通の外国人ではないと判断された結果だ。

判決文に「罰金額が500万ウォンより多かったら強制退去だが、500万 ウォンだったらこのまま韓国で暮らせる」と書いてあった。強制退去にしないから感謝しろというのか。相手の証言が嘘だと分かったのに、罪を認めて黙って我慢しろというのか。エリート判事の外国人の弱みに付け込んだ卑劣な判決だ。悔しいが今はいくら言っても駄目だ。でもきっと後になってこの判決をあの判事は、相手の弱みに付け込んだ自分の恥ずかしい過去として思い出すだろうと思う。三審はそのままの判決。裁判は全てファイルしておいた。大きくなったら子供たちに渡すつもりだ。

Q:今回の裁判のことを教えてください。

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帰化申請していたが、罰金500万ウォンを支払ったことが法務部から品行方正でないと見做され帰化が保留された。それで起こした異議申し立て裁判だ。一審では、ミンスの強制撤去反対事件は家庭を守るためのものだ、起こそうとした犯罪ではないと判事が判決文に書いてくれた。でも反応が無かった。法務部はとても簡単に他人の人生を決める。だから異議申請したが棄却された。その次に憲法訴願をしたがこれもニュースのとおり棄却された。心理的に一番つらかったことだ。品行の問題は私一人の問題ではない。国家人権委員会上、何をしても 品行の問題になる。21世紀で韓国はOECD国家なのに、もっと精密に判断しなければならない。憲法上で考えなければならない。

Q:ミンス理事は移住労働者から多文化家族になったわけですが。

アメリカ人やヨーロッパ系の人と結婚すれば国際結婚。それ以外が多文化だ。多文化は書類上の韓国籍こそないが、納税はじめ国防をのぞいて義務を果たしている。韓国の多文化関連支援は家族の為でもあるが、韓国のためでもある。施してやっているというような態度が間違った視角を作り出している。韓国人家族と多文化家族の間に壁を作っているのだ。

子供の出生証明書、韓国語のものは普通に一枚くれる。英語の物は2万5千ウォン。父の名前が下に小さく載っている。前はなかった。これは誰かが抗議して書くようになったと聞いた。キムチ漬けるの、歌を歌うのが多文化じゃない。多文化の子供は生まれた日から2万5千ウォンのために差別され傷つく。

例えば多文化だからといってロッテワールドの入場券を送ってくる。でもロッテワールドの中ではオレンジのスカーフ首に巻いて多文化のバッチもしなきゃならない。写真も撮らなきゃならない。とうさん、どうして僕らだけバッチをしなきゃならないのと聞かれる。子供が戸惑う。動物じゃないんだ。腹が立ったので次からは自分たちを除いてくれと言った。親は理解するが子供に何の罪があるのか。なぜ大人がこんなものを作るのか理解できない。大人は良い。だけど子供は違う。みなと同じだ。

なぜ多文化が増えたのか。韓国政府の恥ずかしい事情もはっきりさせなければならない。労働者が必要な理由、製造コスト削減や3D業界に従事する韓国人がいないから外国人が肩代わりしているのではないか。韓国人の職場を取った部分も少しはあるだろうが、大部分はそうではない。

テレビや放送で騙しても、インターネットなどがあるのだから、これからはこれ以上騙すな。政府は言論を操作する時代ではない。(2016年9月)

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