ロゴ
韓国の「EPS」帰還労働者がもたらす波及効果についての研究
Entreprenurship of EPS Return Ⅿigrants from South Korea

Nepal

ネパール人帰還労働者のアントレプレナーシップ

pig

ネパールは中国とインドに挟まれた人口300万程度、北海道の二倍足らずの国土の国です。一人当たりのGDPが800米ドルですが、GDP全体の3割程度が海外出稼ぎネパール人からの送金です。

調査に応じてくださった方々は50名余りです。皆さん職業も生活様式もそれぞれですが韓国での出稼ぎ労働を貴重な経験とお考えでした。このページでは韓国での経験が帰還後のアントレプレナーシップどのように直結しているか、まずは韓国へ多くの労働者を創出しているポカラの事例を少しご紹介いたします。

チャムさんとラジュさんのご兄弟はポカラのダウンタウンから少し外れた場所で養豚場と精肉店を経営しています。

お兄さんのチャムさんはネパールから韓国への渡航のはしりの時期である1992年に渡韓しました。最初はプラスチック工場、次に大手家電メーカーの冷蔵庫製造工場で働いたのち、養豚場で働き始めました。養豚場は常に人手が不足していてオーナーの頼みでネパールから弟のラジュさんを呼び寄せました。7年間の養豚場の仕事では掃除から人工授精まですべてを任されたそうです。大変に重労働でしたが、兄弟一緒だったので途中で投げ出すことなくできたといいます。

表彰

帰還した頃のネパールでは食用豚のほとんどは輸入に頼っていました。チャムさんは試しにと2頭の豚を飼いはじめ、同時に精肉店の経営を始めました。ヒマラヤトレッキングが世界的にブームになり海外からの観光客が急増したことと、長年の韓国での経験を活かして始めた豚を部位別に機械でスライスして販売する方法が、同じく韓国からの帰還者が営む韓国食レストランや海外からの観光客をターゲットとするレストランからの大量受注につながりました。

2頭だった豚は現在では2000頭まで増えました。ネパール内にも養豚場は増えましたが、チャムさんは韓国での経験を活かし、自ら育てた良質の雄豚の精子を他の養豚場に供給する事業に着手しました。現在の国産豚供給率はまだ50%程度ですが、今後は国産豚の比率と品質の向上を目指します。こうした取り組みによって、チャムさんは大統領賞も授与されました。

ピザが人へ、ポカラ内からネパール中へ、「運ぶこと」で事業を拡大

窯

ポカラでイタリアンレストランを営むビジェさんは高等学校を卒業した1991年12月に初めて韓国を訪れました。韓国では靴工場やプラスチック工場で働き数回往来しながら合わせて5年余りの在留中にネパールでお金を稼ぐ秘訣を探りました。

 帰還後はネットカフェを始めましたが当時のポカラでは時期尚早ですぐに店をたたみました。次に始めたのがイタリアンレストランでした。ポカラの中心に近いところに開いたイタリアンレストランはそれなりに繁盛しましたが、ポカラに訪れる外国人観光客の割にはビジェさんのレストランを訪れる外国人は少ないと感じました。そこで思いついたのが、韓国で頻繁に利用していたデリバリーでした。

 韓国では漢江公園や汝矣島広場のような屋外でもピザはもちろん中華料理や韓国料理でも届けてくれます。韓国人のタレントが日本のドラマのロケでお弁当を渡され冷たいご飯にがっかりしたという話を聞いたことがあります。また高齢者の集まりでは30000ウォンの高級弁当よりは6000ウォンの熱々のスープ麺が望まれます。寒い地域の熱々へのこだわりが韓国の出前文化を成長させたといっても過言ではありません。

bus
ビジェさんのバス会社

 ビジェさんも熱々にこだわりました。直火焼のピザ用の窯を調達し,薪で焼き上げて香ばしさが漂ううちに届けられるよう工夫し、ポカラにあるホテルの客室にデリバリーのチラシを置いてもらいました。そうしたところ外国人観光客の注文が急増したといいます。ビジェさんは同じ形式のお店をカトマンズともう1か所に増やしました。今後はフランチャイズとして拡大し海外への出店も目指しています。

 また、ビジェさんは現在5人の起業家と共同で旅行社を設立しました。現在は毎日ポカラ−チトワン(Chitwan)−カトマンズを結ぶバス運行を1日1往復行っています。

 現在はガソリン車を使用していますが近々中国のEVバスを導入する予定でいます。EVバスは導入時にコストがかかりますが、環境への負荷が低いためネパール政府は導入のために助成金支援を行っています。ネパールは道路整備が行き届いていないため、バス運行を担う立場からも一般のバスに比べてメンテナンスにかかるコストが安く、運行時の揺れも少ないといいます。安価な一般バスを導入するよりも、思い切ってEVバスによる運航を始める方が長期的に低コストに抑えられるそうです。今後は運輸業に主眼をおき事業を進めていく予定ですが、韓国の経験は過去のものとなりヴィジョンは世界水準を目指しています。

ネパールで財閥を目指す(ポカラで語学学校、ファイナンス、大型マートの建設)

写真:チュダマンさん

写真:ヤムさん

チュダマンさんは研修生とEPSで5年、ヤムさんは韓国で食材会社の正社員として16年勤めたのち、子供の教育を理由に2000年代後半に帰国しました。韓国では全く接点のなかった二人の出会いはチュダマンさんが帰還後に始めた語学学校の教師を募集にヤムさんが応募してからといいます。ヤムさんは応募の動機を韓国語で書かれた学院名である「国際学院」のスペルが「국제(国際)」ではなく「국재(国債)」と書かれていたので、ここなら自分の韓国語能力を生かせると思ったと笑って話します。

school
写真:ポカラの語学学校の授業風景

偶然の出会いでしたが語学学院は2018年に新校舎を建設しポカラでEPS合格率1位の語学学校となりました。その傍ら他のメンバー4人とファイナンス会社を立ち上げ、大型マートも建設し2019年9月にマートの一部を開業しました。ファイナンス会社は日本では金融講と呼ばれている、簡単に言えば会員の預け金を会員の中で融通しあう政府の認可を受けたシステムといえば想像しやすいかと思います。また、マートは、カトマンズと異なり、流通が不安定なポカラ地域で日用品の調達の便宜を図るための第一歩で、今後は観光客向けのアイテムも構築し、まずはポカラからそして全国規模への展開を目指しています。

語学学校は2019年の4月の日本の外国人労働者受け入れに対応できるよう、日本語部門も増やすことを計画しています。日本人の日本語教員も募集中で学院側では住居の提供とがっかりしないレベルの報酬を用意しています。

主婦から韓国での経験を経て女性のエンパワーメント活動へ

写真右:バクバティさん

バクバティさんが具合の悪い夫に子供を任せて韓国に行く決意をしたのは1998年の30歳の時でした。それまで外で働いたことのない主婦でした。韓国では化粧品の容器製造工場やガラス工場で働きました。韓国に行くまで、女性が工場で働き家族を支える姿を見たことがなかったので大変な刺激になったといいます。

 帰国後は地域の金融講のチーフオフィサーの傍ら帰還労働者コミュニティに籍を置き、女性が社会、経済的に自立できるようソーシャルワーカーとしてボランティアでエンパワーメントを続けています。現在、女性の自立支援に参加する女性は120名に及びます。こうした試みは行政や議会からも注目されていて、きっかけがあれば政治的な活動に発展させたいとおっしゃっています。

PAGE TOP